歌手や俳優として唯一無二の存在感を放ち続けた美輪明宏さんと、日本を代表する作家・三島由紀夫。

二人の名前が並ぶと、「恋人だったの?」「どんな関係だったの?」と気になる人も多いようです。

実際には、三島由紀夫が美輪明宏さんに強く惹かれていたことは、美輪さん自身がインタビューなどでたびたび語っています。

一方で、美輪さんは一貫して「恋愛関係ではなかった」と説明しており、二人は互いを深く尊敬し合う特別な友人でした。

この記事では、二人の出会いから「95%の長所」の有名な逸話、恋人説の真相、そして最後の別れまで詳しく振り返ります。

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美輪明宏と三島由紀夫の関係とは?二人の出会いから深い友情まで

二人が出会ったのは1951年頃のことです。

当時16歳だった美輪さんは、国立音楽大学附属高校へ通いながら、銀座の喫茶店「ブランスウィック」でアルバイトをしていました。

一方、26歳だった三島由紀夫は新人作家として出版社関係者と店を訪れ、その場で初めて顔を合わせます。

その後、美輪さんがシャンソン喫茶「銀巴里」の専属歌手として人気を集めるようになると、評判を聞きつけた三島が店へ足を運ぶようになりました。

ここから二人の交流は本格的に始まります。

三島は美輪さんの中性的な美貌を「天上界の美」と称賛したほど魅了されていたといわれています。

さらに、美輪さんの自由な生き方やファッションセンスにも刺激を受け、これまでの価値観が揺さぶられるほどのカルチャーショックを受けたとも語られています。

年齢は10歳離れていましたが、文学や芸術、美意識について語り合える特別な存在でした。

約20年にわたって親交を続けたことからも、二人の結びつきの深さがうかがえます。

美輪明宏と三島由紀夫は恋人だった?「95%の長所」逸話と恋人説の真相

二人については、長年にわたり「恋人だったのではないか」という噂が語られてきました。

その背景には、三島由紀夫が美輪さんへ寄せていた特別な思いがあったとされています。

なかでも有名なのが、「95%の長所」の逸話です。

三島は美輪さんに対し、「君には95%の素晴らしい長所がある。しかし残り5%の最悪の欠点がそれを吹き飛ばしている」と語りました。

美輪さんが「その欠点とは?」と尋ねると、三島は「俺に惚れないことだ」と返したといいます。

これに対して美輪さんは、「私は立派な人や尊敬する人は恋愛対象にしないの。かわいそうな人が好きなの」と笑顔で返しました。

すると三島は、「雨の日に傘をさして一人で帰る俺の後ろ姿を見てみろ。かわいそうだぞ」と冗談を返し、その場は笑いに包まれたそうです。

二人らしいユーモアと信頼関係が伝わる、よく知られたエピソードと言えるでしょう。

一方で、美輪さんは後年のインタビューでも「恋愛関係ではなかった」と繰り返し語っています。

三島は頭の先から足の先まで信頼できる人物であり、純粋で尊敬できる友人だったと振り返っています。

そのため、「禁断の恋」といった噂はあったものの、美輪さん自身は一貫して「無二の親友」という立場を貫いていました。

 

三島由紀夫が美輪明宏に与えた影響とは?『黒蜥蜴』から改名秘話まで

二人の関係は友情だけにとどまらず、芸術家としても互いに大きな刺激を与え合いました。

代表的なのが、1968年公開の映画『黒蜥蜴』です。

江戸川乱歩の作品を三島由紀夫が戯曲化し、美輪明宏さんを主人公・黒蜥蜴役に抜擢しました。

画像引用:映画.com

この作品は大きな話題となり、美輪さんを代表する作品の一つとなっています。

さらに三島自身も、防腐処理された死体役としてカメオ出演し、共演を果たしました。

また、自伝『紫の履歴書』では三島が序文を執筆するなど、美輪さんの才能を高く評価していたことでも知られています。

一方、美輪さんも三島の知性や文学的感性を深く尊敬していました。

ただし、思想面では異なる部分もありました。

美輪さんは長崎で被爆した経験から反戦と平和を訴え続けた一方、三島は国家や武士道を重視する思想を持っていました。

それでも互いを否定することなく尊重し合っていたことが、二人の関係をより特別なものにしていたのではないでしょうか。

赤いバラが物語る最後の別れ|三島由紀夫と美輪明宏の絆

1970年11月、三島由紀夫が自決する約1週間前のことです。

日劇に出演していた美輪さんの楽屋を、三島が訪れたといいます。

その手には、数百本とも伝えられる赤いバラの花束が抱えられていました。

別れ際、三島は「もう君の楽屋には来ないからね」と語ります。

さらに、「今日もきれいだったよという嘘を言うのが辛いから」と言い残したそうです。

当時の美輪さんは、その言葉の真意を理解できなかったと振り返っています。

しかし後になって、自身の最期を覚悟していたのではないかと回想しています。

三島の死後も、美輪さんは読経を捧げ、深い敬意をもって友人を送りました。

さらに後年には「美輪明宏」へ改名し、その名前には三島との縁を感じる出来事があったことも明かしています。

恋愛関係ではありませんでした。

それでも、互いの才能を認め合い、芸術家として刺激を与え続けた二人の絆は、日本の文化史に残る特別な関係だったと言えるでしょう。

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