久米宏という存在──なぜ人々に愛されたのか

2026年1月1日──久米宏さんが肺がんのため亡くなられたというニュースは、多くの人々に静かな衝撃を与えました。

私もショックの一言で、久米さんのあの語り口を思い出しています。

報道番組『ニュースステーション』をはじめ、数々のテレビ・ラジオ番組で親しまれた久米さん。

画像引用:東京新聞デジタル

その語り口には、ニュースをただ伝える以上の人の気持ちが込められていました。

政治、社会、芸能、そして日々の出来事。

どんなテーマでも、彼の言葉は決して一方的ではなく、視聴者と対話をしているような不思議な安心感がありました。

「誰かの立場になって語る」
それが、久米宏という人の伝える力だったのかもしれません。

メディアの頂点へ。久米宏さんの歩み

若き日とTBS時代の出発

久米宏さんは1944年、東京・大田区で生まれました。

早稲田大学政治経済学部を卒業後、1967年にTBSへ入社。アナウンサーとしてキャリアをスタートさせます。

最初はニュースや情報番組を中心に担当し、正確で落ち着いた語りが高く評価されていましたが、やがて彼の本当の魅力が発揮されるのは“進行役”としてのポジションでした。

バラエティ番組で国民的存在に

『ぴったしカン・カン』や『ザ・ベストテン』など、1970〜80年代を代表する人気番組で司会を務めた久米さん。

ときに軽妙に、ときに真剣に、ゲストや視聴者と心を通わせる進行は、「ニュースの人」から「テレビの顔」へとイメージを広げていきました。

どんな現場でも気取りすぎない。
そんな姿勢が、多くの人に親しみを持たれた理由だったのではないでしょうか。

『ニュースステーション』が変えた報道の形

1985年、テレビ朝日系で始まった『ニュースステーション』。

久米宏さんがキャスターとして本領を発揮した代表作であり、彼の存在を「報道の顔」として確立させた番組でもあります。

それまでのお堅いニュース番組とは一線を画し、

  • 時には冗談を交え、
  • 時には現場記者と生でやり取りをし、
  • 視聴者の“気になる視点”を代弁する

そんな自由さとリアルさがありました。

政治家に対しても忖度せず、しかし感情に流されることもない。

「知ること」「考えること」をテレビの中に持ち込んだ、そんな革新的な存在だったのです。

18年間続いたこの番組は、今も多くのキャスターやジャーナリストに影響を与え続けています。

支え合った57年──妻・麗子さんとの日々

学生時代から続いた絆

久米宏さんの人生を語るうえで、妻・麗子さんの存在は欠かせません。

ふたりが出会ったのは大学時代。

久米さんがTBSに入社してからも交際は続き、結婚後は公私ともに支え合う関係となりました。

麗子さんは表に出ることはなかったものの、久米さんがインタビューなどで「番組のテーマを妻と話し合うことがある」と語っていたように、彼の思考や価値観に大きな影響を与えていた存在です。

派手ではなく、静かに寄り添う。

そんなふたりの距離感が、久米さんの柔らかな語り口にも表れていたのかもしれません。

子供がいなくても育まれた人生の実り

久米さんご夫妻には、お子さんはいませんでした。

その背景には、麗子さんの婦人科系の病気と手術があったと伝えられています。

けれども、その事実を「不足」と感じさせることは、久米さんから一切ありませんでした。

代わりに彼は、メディアを通して多くの社会の子供たちと向き合い続けたのです。

家庭に子供がいなくても、「伝える」という仕事を通じて、何百万人という人の心に種をまいてきた久米宏さん。

晩年と最期 ラジオに込めた素顔の声

テレビから一線を退いたあとも、久米さんは文化放送のラジオ番組『久米宏 ラジオなんですけど』で、柔らかくも鋭い語りを続けていました。

画像引用:東スポWeb

ここでは、政治や社会の話題だけでなく、自身の思い出や日々感じたことなど、素顔の久米宏を垣間見ることができました。

晩年、彼は肺がんと闘いながらも、その事実を表に出すことはなく、あくまで語り手として日常の空気を届けていました。

2026年元日、家族に見守られながら静かに旅立った久米宏さん。

その最期は「大好きなサイダーを飲み干した」というエピソードが麗子さんから語られていました。

社会への遺産──久米宏さんが遺したもの

久米宏さんの死去に際し、政界・芸能界から数多くの追悼の声が寄せられました。

「報道番組の概念を変えた人」
「視聴者に“考える習慣”を残してくれた」
「あの語りが、時代と私たちをつなげてくれていた」

彼の“伝える力”は、ただの言葉ではありません。
そこには視聴者の感情や立場を思う気持ちがありました。

キャスターとして、司会者として、そしてひとりの人間として。
久米宏さんは、言葉の力を信じ、伝え続けた人でした。

「子供がいなかった人生」を、どう生きたか

「子供がいなかったんだね」と、誰かが言ったとして。
久米宏さんはきっと、静かにうなずきながら、こう言うのではないでしょうか。

「でもね、毎日誰かと向き合っていたんですよ」と。

親としての人生はなかったかもしれません。
けれど、彼が育ててきたものは確かにあります。

それは、「考える力」「感じる心」「伝える勇気」
番組を通して届けられたそれらは、私たちの中で今も生き続けています。

まとめ:久米宏さんが私たちに残したもの

久米宏さんが生きた81年。

そこにあったのは、家族との静かな絆、言葉への真摯な姿勢、そして社会と真っすぐ向き合う覚悟でした。

子供がいなくても、彼の人生は実りに満ちていました。

むしろ、その分だけ多くの人々に寄り添い、言葉を届けてきた人だったのだと思います。

今日、あなたの中にも久米さんの言葉が残っているとしたら、
それは彼が人生をかけて育てた遺産なのかもしれません。

久米宏さん、ありがとうございました。
どうか、安らかにお休みください。